2020年 関西学院大学 全学部入試(2/1実施)【本文・訳】

次の文章は『蜻蛉日記』の一節で、年来の宿願を果たすために初瀬(奈良盆地南東部にある長谷寺)に参籠した作者が、供の者たちに急かされて京への帰途につくところから始まる。途中、夫の藤原兼家が宇治まで迎えに来ていた。これを読んで、後の問に答えなさい。
 かくて「今しばしも(長谷寺に)あらばや」と思へど、明くればのゝしりて出だし発つ。かへさは忍ぶれど、こゝかしこ、あるじしつゝ留むれば、もの騷がしうて過ぎゆく。三日といふに京に着きぬべけれど、いたう暮れぬとて、山城国久世のみやけといふところにとまりぬ。いみじうむつかしけれど、夜に入りぬれば、たゞ明くるを待つ。
まだ暗きより行けば、黒みたる者の調度負ひて(馬を)走らせて来。やゝ遠くより下りてついひざまづきたり。見れば(兼家の)随身なりけり。「何ぞ」とこれかれ問へば。「昨日の酉の時ばかりに宇治の院におはしまし付きて、『帰らせ給ひぬやと、参れ』と、仰せ侍りつればなむ」といふ。先なる男ども、「疾う促せや」など行ふ。宇治の川に寄るほど、霧は来し方見えず立ち渡りて、いとおぼつかなし。車かきおろして、こちたくとかくするほどに、人声多くて「御来おろし立てよ」とのゝしる。霧の下より例の網代も見えたり。いふかたなくをかし。みづからはあなたにあるなるべし。まづ、かく書きて渡す。
  人心うぢの網代にたまきかによるひをだにも訪ねけるかな
舟の岸に寄するほどに、返し、
  帰るひを心のうちにかぞへつゝたれによりてか網代をも訪ふ
見るほどに車(を舟に)かきすゑて、のゝしりてさし渡す。いとやんごとなきにはあらねど卑しがらぬ家の子ども、何の丞の君などいふものども、轅、鴟尾の中に入り込みて(川を渡っていくうちに)日の脚のわづかに見えて、霧ところどころに晴れ行く。あなたの岸に、家の子。衛府の佐など、かい連れて見おこせたり。中に立てる人も
旅だちて狩衣なり。岸のいと高きところに舟を寄せて、わりなうたゞ上げに担ひ上ぐ。轅を板敷に引きかけて立てたり。
 落忌の設けありければ、とかうものするほど、「川のあなたには按察使大納言の領じ給ふところありける、このごろの網代ご覧ずとて、こゝになむものし紿ふ」にといふ人あれば、「かうてありと聞き給へらむを、まうてこそすべかりけれ」などさだむるほどに、紅葉のいとをかしき枝に雉子、氷魚などを付けて、「かうものし紿ふと聞きて、もろともにと思ふも、あやしう物なき日にこそあれ」とあり。御返り、「こゝにおはしましけるを。たゞ今さぶらひ、かしこまりは」などいひて、単衣ぬぎて(使者に)かづく。さながらさし渡りぬめり。また、鰹、鱸などしきりにあめり。
車の後のかたに花紅葉などやさしたりけむ、家の子と思しき人、「近う花咲き実なるまでなりにける日ごろよ」といふなれば、後なる人もとかくいらへなどするほどに、あなたへ舟にて皆さし渡る。「論なう酔はむものぞ」とて、皆酒飲む者どもを選りてゐて渡る。川のかたに車向かへ榻立てさせて、二舟にて漕ぎ渡る。
さて、酔ひまどひ、歌ひ、帰るまゝに、「御車、かけよ、かけよ」とのゝしれば、困じていとわびしきに、いと苦しうて(京の自邸に)来ぬ。
(注)
*久世…宇治川の少し南にある郡の名。京へは宇治川を渡り、北上する。
*調度…ここでは、弓矢のこと。
*網代…川の瀬に設ける魚捕りの設備。氷魚を捕らえるのに用いた宇治川の網代は当時有名であった。
*鴟尾…牛車の後方(轅の反対側)に突き出した二本の捧。
*日の脚…日差し。
*落忌…特進落とし。作者は長谷寺参籠のために精進をしていた。