2022年共通テスト本文・現代語訳『増鏡』『とはずがたり』
目次
【本文1『増鏡』 本文】 【本文1『増鏡』 現代語訳】 【本文2『とはずがたり』 本文】 【本文2『とはずがたり』 現代語訳】
【本文1『増鏡』 本文】
院も我が御方にかへりて、うちやすませ給へれど、まどろまれ給はず。ありつる御面影、心にかかりて覚え給ふぞいとわりなき。「さしはへて聞こえむも、人聞きよろしかるまじ。いかがはせん」と思し乱る。御はらからと言へど、年月よそにて生ひ立ち給へれば、うとうとしく習ひ給へるままに、慎ましき御思ひも薄くやありけん、なほひたぶるにいぶせくてやみなむは、あかず口惜しと思す。けしからぬ御本性なりや。
なにがしの大納言の娘、御身近く召し使ふ人、かの斎宮にも、さるべきゆかりありて睦ましく参りなるるを召し寄せて、
「なれなれしきまでは思ひ寄らず。ただ少しけ近き程にて、思ふ心の片端を聞こえむ。かく折よき事もいと難かるべし」
とせちにまめだちてのたまへば、いかがたばかりけむ、夢うつつともなく近付き聞こえ給へれば、いと心憂しと思せど、あえかに消え惑ひなどはし給はず。
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【本文1『増鏡』 現代語訳】
院も自室に戻って、すこしお休みになるが、まどろむこともおできにならない。さきほどの(斎宮の)面影が自然と気にかかって思われることは、なんともどうしようもない。「わざわざ(お手紙を)申し上げるのも人聞きが良くないだろう。どうしようか。」と思い乱れなさる。(斎宮は)ご兄妹といっても、長年別々に 成長なさったので、疎遠でいらっしゃったために、(斎宮と関係を持つことに)気が引けるお気持ちも薄くあったのであろうか、やはりこのまま悶々として終わってしまうようなのは、満足できず残念だとお思いになる。良くないご性格であるよ。
某大納言の娘(後深草院二条)である、院がお側近くに召し使う人で、例の斎宮にもしかるべき縁があって親しく出入りし申し上げている人を(院が)お呼びよせになって、
馴れ馴れしい関係(になりたい)とまでは思い寄らない。ただ、少し近いところで、(私の)思いの一端でも申し上げたい。このような良い機会もないであろう」
と熱心に誠実ぶって仰るので、どのように取り計らったのであろうか、夢ともうつつともなく(院が)近づき申し上げなさったので、(斎宮は)大変つらいとお思いになるけれど、弱弱しく消えてしまいそうに心迷いなどはなさらない。
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【本文2『とはずがたり』 本文】
斎宮は二十に余り給ふ。ねびととのひたる御さま、神も名残を慕ひ給ひけるもことわりに、花といはば、桜にたとへても、よそ目はいかがとあやまたれ、霞の袖を重ぬるひまもいかにせましと思ひぬべき御有様なれば、ましてくまなき御心の内は、いつしかいかなる御物思ひの種にかと、よそも御心苦しくぞおぼえさせ給ひし。
御物語ありて、神路山の御物語などたえだえ聞え給ひて、
「今宵はいたう更け侍りぬ。のどかに明日は、嵐の山のかぶろなる梢どもも御覽じて御帰りあれ」
など申させ給ひて、わが御方へ入らせ給ひて、いつしか
「いかがすべき、いかがすべき」
と仰せあり。 思ひつることよとをかしくてあれば、
「幼くより参りししるしに、このこと申しかなへたらん、まめやかに志ありと思はむ」
など仰せありて、やがて御使に参る。ただおほかたなるやうに、「御対面うれしく、御旅寝すさまじくや」などにて、忍びつつ文あり。氷襲の薄様にや、
「知られじな今しも見つる面影のやがて心にかかりけりとは」
更けぬれば、御前なる人も皆寄り臥したる。御主も小几帳ひき寄せて、御とのごもりたるなりけり。近く参りて、事のやう奏すれば、御顔うちあかめて、いと物ものたまはず。文も、見るとしもなくて、うち置き給ひぬ。
「何とか申すべき」
と申せば、
「思ひ寄らぬ御言の葉は、何と申すべき方もなくて」
とばかりにて、また寝給ひぬるも心やましければ、帰り参りてこのよしを申す。
「ただ寝給ふらむところへ、導け、導け」
と責めさせ給ふもむつかしければ、御供に参らんことはやすくこそ、しるべして参る。甘の御衣などはことごとしければ、御大口ばかりにて、忍びつつ入らせ給ふ。
まづ先に参りて、御障子をやをら開けたれば、ありつるままにて御とのごもりたる。御前なる人も寝入りぬるにや、音する人もなく、小さらかに這ひ入らせ給ひぬる後、いかなる御ことどもかありけむ。
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【本文2『とはずがたり』 現代語訳】
斎宮は二十を過ぎていらっしゃる。すっかり成熟しているご様子は、伊勢の神様も名残惜しく思われた(退任後も帰京が遅れた)のも道理で、花で言うなら、桜にたとえても、はた目にはどうだろうかとと見誤ってしまうほど(に美しい様子)で、桜に霞が立ち重なるようにお顔を袖で隠されるその合間も、どうしたらいいだろうと思い悩みそうなご様子であるので、まして好色な院の心の内は、早くもどんな御物思いの種になっているであろうかと、はたから(私二条から見ても)もお気の毒なように存じます。
(斎宮と)語らいなさって、(斎宮は)神路の山のお話(伊勢神宮に奉仕していた頃の思い出)などを、とぎれとぎれに申して、(院は)「今夜は大分更けました。ゆっくりと、明日は嵐山の落葉した木々の梢などを御覧になって、お帰りください」などと申しあげなさって、ご自分のお部屋へお入りになると、早くも、「どうしたらいいだろう、どうしたらいいだろう」とおっしゃる。思ったとおりだ、と(私が)おかしく思っていると、「幼い時からわたしに仕えてきた証拠として、このことを(斎宮に)申し伝えて(この思いを)叶えたならば、(お前が私に対して)誠実に愛情があると思おう」などとおっしゃって、すぐに(私が)御使いとして参上した。ただありふれた挨拶で、「お目にかかれてうれしく存じます。旅寝は興ざめではありませんでしたか」などとあって、ひそかにお手紙がある。氷襲の薄様であっただろうか。
知られじな・・・・・・ご存じないでしょうね。たった今お会いしたあなたの面影が、そのままわたしの心にかかっているとは
夜が更けたので、斎宮の御前に伺候している女房も皆ものに寄りかかって横になっている。斎宮も小几帳を引き寄せて、おやすみになっているのだった。近く参って、事情を(斎宮に)申しあげると、お顔を赤らめて、あまり何もおっしゃらない。お手紙も見るともないままに、そのまま置きなさった。
「何とご返事申しましょうか」
と申しあげると、
「思いも寄らないお言葉は、何ともご返事申し上げようもなくて」とばかりで、また寝てしまわれたのもじれったいので、院のもとに帰参して、このことを院に申しあげる。
「ただ、おやすみになっている所へ案内しろ、案内しろ」とせき立てられるのも面倒なので、お供に参るのは簡単で、ご案内して(斎宮のところに)参上する。院は直衣などは大げさなので、ただ大口袴だけで、こっそりとお入りになる。
まず(わたしが)先に参って、御ふすまをそっと開けると、さっきのままでおやすみになっている。近く参って、事の有様を申しあげると、お顔を赤らめて、特に何もおっしゃらない。お手紙も見るともないままに、お置きになった。「何とご返事申しましょうか」と申しあげると、「思いがけないお言葉は、何とご返事申しようもなくて」とばかりで、また寝てしまわれたのも気がとがめるので、帰参して、このことを御所様に申しあげる。
「かまわないから、寝ておられる所へわたしを案内しろ、案内しろ」とせき立てられるのも面倒なので、お供に参るのはおやすい御用だから、ご案内して参る。御所様は甘のお召物などは大仰なので、ただ大口袴だけで、こっそりとお入りになる。
まずわたしが先に参って、お襖をそっと開けると、さっきのままでおやすみになっている。御前の女房も寝入ってしまっているのだろうか、音を立てる人もなく、(院が)お体を縮めて這ってお入りになった後、どんなことがあったのであろうか。
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