2022國學院大学A日程『源氏物語』「浮舟」

 

【本文】

宮、「かくのみ、なほうけひくけしきもなくて、返り事さへ絶え絶えになるは、かの人の、あるべきさまに言ひしたためて、すこし心やすかるべき方に思ひ定まりぬるなめり、ことわりと思すものから、いと口惜しくねたく、「さりとも、我をばあはれと思ひたりしものを、あひ見ぬとだえに、人びとの言ひ知らする方に寄るならむかしなど眺めたまふに、行く方しらず、むなしき空に満ちぬる心地したまへば、例の、いみじく思し立ちておはしましぬ。 葦垣の方を見るに、例ならず、「あれは、誰そ」と言ふ声々、いざとげなり。立ち退きて、心知りの男を入れたれば、それをさへ問ふ。さきざきのけはひにも似ず。わづらはしくて、「京よりとみの御文あるなり」と言ふ。右近は徒者の名を呼びて会ひたり。いとわづらはしく、いとどおぼゆ。「さらに、今宵は不用なり。いみじくかたじけなきこと」と言はせたり。宮、などかくもて離るらむと思すに、わりなくて、「まづ、時方入りて、侍従に会ひて、さるべきさまにたばかれ」とて遣はす。かどかどしき人にて、とかく言ひ構へて、訪ねて会ひたり。「いかなるにかあらむ。かの殿ののたまはすることありとて、宿直にある者どもの、さかしがりだちたるころにて、いとわりなきなり。御前にも、ものをのみいみじく思しためるは、かかる御ことのかたじけなきを、思し乱るるにこそ、と心苦しくなむ見たてまつる。さらに、今宵は。人けしき見はべりなば、なかなかにいと悪しかりなむ。やがて、さも御心づかひせさせたまひつべからむ夜、ここにも人知れず思ひ構へてなむ、聞こえさすべかめる」。乳母のいざときことなども語る。大夫、「おはします道のおぼろけならず、あながちなる御けしきに、あへなく聞こえさせむなむ、たいだいしき。さらば、いざ、たまへ。ともにくはしく聞こえさせたまへ」といざなふ。「いとわりなからむ」と言ひしろふほどに、夜もいたく更けゆく。

〇宮-男宮。
〇かの人―男君。男君は京にいて女君を山里に住まわせている。
〇行く方知らず、むなしき空に満ちぬる心地―「わが恋はむなしき空にみちぬらし思ひやれども行く方もなし」(古今集)による表現。
〇葦垣―女君が住む家の垣根。
〇いざとげなり―すぐに目を覚ます様子をいう。
〇心知りの男―男宮の従者。
〇京より―京にいる女君の母から。
〇右近―女君の侍女。
〇侍従―女君の侍女。
〇御心づかひせさせたまひつべからむ夜―男宮は女君を京に迎えることを計画している。
〇乳母―女君の乳母。
〇大夫―時方のこと。


【現代語訳】

男宮(匂宮)は、「(女君=浮舟が)このようでばかりでやはり聞き入れる様子もなく、返事までも途絶えがちになるのは、あの男君(薫大将)が都合のいいように言い含めて、それで(女君が)多少とも安心なほうにと決心したのであるようだ。それも道理である」とお思いにはなるものの、大変残念で悔しく、そうはいっても、(女君は)私を慕ってくれていたのに、会わない間に、女房たちが説得する方(男君)に心が傾いたのだろう、などともの思いにふけっていらっしゃると、恋しさが行方も知れず虚空に満ちてしまうような気持になられるので、いつものように、たいへんなご決心をなさって(女君の元へ)お出かけになった。