2022年東京大学古文『浜松中納言物語』本文・現代語訳
リード文
次の文章は『浜松中納言物語』の一節である。中納言は亡き父が中国の帝の第三皇子に転生したことを知り、契りを結んだ大将殿の姫君を残して、朝廷に三年間の暇を請い、中国に渡った。そして、中納言は物忌みで籠もる女性と結ばれたが、その女性は御門の后であり、第三皇子の母であった。后は中納言との間の子(若君)を産んだ。三年後、中納言は日本に戻ることになる。以下は、人々が集まる別れの宴で、中納言が后に和歌を詠み贈る場面である。これを読んで、後の設問に答えよ。
本文
忍びがたき心のうちをうち出でぬべきにも、さすがにあらず、わりなくかなしきに、皇子もすこし立ち出でさせ給ふに、御前なる人々も、おのおのものうち言ふにやと聞こゆるまぎれに、
ふたたびと思ひ合はするかたもなしいかに見し夜の夢にかあるらむ
いみじう忍びてまぎらはかし給へり。
夢とだに何か思ひも出でつらむただまぼろしに見るは見るかは忍びやるべうもあらぬ御けしきの苦しさに、言ふともなく、ほのかにまぎらはして、すべり入り給ひぬ。おぼろけに人目思はずは、ひきもとどめたてまつるべけれど、かしこう思ひつつむ。
内裏より皇子出でさせ給ひて、御遊びはじまる。何のものの音もおぼえぬ心地すれど、今宵をかぎりと思へば、心強く思ひ念じて、琵琶賜はり給ふも、うつつの心地はせず。御簾のうちに、琴のことかき合はせられたるは、未央宮にて聞きしなるべし。やがてその世の御おくりものに添へさせ給ふ。「今は」といふかひなく思ひ立ち果てぬるを、いとなつかしうのたまはせつる御けはひ、ありさま、耳につき心にしみて、肝消えまどひ、さらにものおぼえ給はず。「日本に母上をはじめ、大将殿の君に、見馴れしほどなく引き別れにしあはれなど、たぐひあらじと人やりならずおぼえしかど、ながらへば、三年がうちに行き帰りなむと思ふ思ひになぐさめしにも、胸のひまはありき。これは、またかへり見るべき世かは」と思ひとぢむるによろづ目とまり、あはれなるをさることにて、后の、今ひとたびの行き逢ひをば、かけ離れながら、おほかたにいとなつかしうもてなしおぼしたるも、さまことなる心づくしいとどまさりつつ、わが身人の御身、さまざまに乱れがはしきこと出で来ぬべき世のつつましさを、おぼしつつめることわりも、ひたぶるに恨みたてまつらむかたなければ、いかさまにせば、と思ひ乱るる心のうちは、言ひやるかたもなかりけり。
「いとせめてはかけ離れ、なさけなく、つらくもてなし給はばいかがはせむ。若君のかたざまにつけても、われをばひたぶるにおぼし放たぬなんめり」と、推し量らるる心ときめきても、消え入りぬべく思ひ沈みて、暮れゆく秋の別れ、なほいとせちにやるかたなきほどなり。御門、東宮をはじめたてまつりて、惜しみかなしませ給ふさま、わが世を離れしにも、やや立ちまさりたり。
〔注〕
〇琴のこと――弦が七本の
〇未央宮にて聞きしなるべし――中納言は、以前、未央宮で女房に身をやつした后の琴のことの演奏を聞いた。
〇その世――ここでは中国を指す。
〇東宮――御門の第一皇子。
〇わが世――ここでは日本を指す。
現代語訳
包み隠しておけない胸の内(=后への恋心)を口に出してしまいそうになるにつけても、そうはいってもやはりそれはできることではないので、どうしようもなく悲しい時に、皇子もすこしその場をお立ちになるので、后の御前にいる女房たちもそれぞれ何かおしゃべりしているのだろうか、と話し声が聞こえてくるのに紛れて、(中納言は)
ふたたびと……二度と、あの夜の夢のような逢瀬が夢であったのか現実であったのかとを、思い合わせる手だてもありません。あの夜見た夢はどのようにして見た夢であるのでしょうか
たいそうこっそりとごまかしてお伝えになっている。
夢とだに……夢としてでさえ、どうしてあなたは思い出しているのでしょう。ただの幻のように逢ったのは逢ったことになるのでしょうか
こらえることもできそうにない(中納言の)御様子を見るつらさに、后はこの歌を口に出して言うともなく、かすかに紛らわして、御簾の向こうにするりとお入りになってしまった。
通り一遍に人目を気にするのでなければ、お引きとめ申し上げるだろうが、(中納言は)賢明にも心にとどめた。