東大の国語について検討してみた(後半)【古典専門塾かきつばた】【読解ラボ東京】

夏井(中学受験専門夏井算数塾代表):2月25日に実施されました、東京大学入試の国語の問題についてになります。お二人に解いて頂きましたが、いかがでしたか?古文・漢文について岡部先生お願いします。
岡部:今年に限らないですが、東京大学の古文・漢文の文章そのものは割合に平易です。
ただ、ジャンルが多岐に渡ります。
このジャンルに特化して勉強しようとかはあまり意味がないです。
なので、万遍ない学習というのが必要になるという所です。
問題傾向としては、傍線部訳と内容説明、あるいは理由説明になり、説明問題と訳しなさいという
問題で構成されています。
これはどの大学でもそうでしょうけれども、古文の現代語訳というのは基本的には直訳、むしろ逐語訳に近いです。
勝手に自分で解釈して自分なりの言葉で言い換えるという事は基本的にしてはなりません。
逐語訳をした上で、日本語としてあまりに不自然であるという箇所を現代語として通りがいいように若干手直しをしてあげるという程度が大学入試で求められる古文の訳になります。
なので、基本的には直訳、逐語訳を旨としてその上で補ってあげるというアプローチをしてもらうのが宜しいかと思います。
現代語訳ですが、単に傍線部について訳しなさいという問題だけかというとそうではなくて、いわゆる条件付きの現代語訳という問題が出題されます。
条件付き現代語訳の問題についてというのは、例えば主語を補いなさいとか、動作主を補ってというような問題、あるいは指示語を明らかにしてとか、あるいは和歌であれば掛詞を意識して訳しなさいでというような指示が出てきます。
そういったものについてはきちんとそれの指示に従うという事になりますので、そこを明らかにした上で傍線部だけ眺めていても回答にならないという事はあります。
前後、特に指示後には前方指示・後方指示、それと作者と読者の間で当然理解されているような何かを指している訳じゃない言葉があります。
例えば、しかるべくみたいな言い方です。
そうしたものは別に何かを指している訳ではありません。
そうした指示後を明らかにしながら、という事です。
だから指示後を見たらなんでもかんでも前を見ればいいというような訳ではないという事です。
そうした所を意識しながら訳していくという事は大事になるかと思います。
また、状況・事情について説明しなさいであるとか、あるいは傍線部について分かり易く説明しなさいという問題が出る訳です。
状況・事情については特にその前後を見れば明らかな訳ですが、分かり易くという問題形式というのは出題意図が分かり易くない訳です。
抽象的な表現になっていて、何を聞いているのか分からない訳です。
これについては先ほどの現代文でもちょっと出てきましたが、
回答だけを読んで文意が通じるのか通じないのかという事を意識して回答を作って欲しいです。
特に訳文を作ってみましたがよく分からんという時に、何を補うと傍線部前後のバックグラウンドであるとか、心情の上での背景であるとか、その心情が起こった理由であるとか、というのが傍線部だけ見ていても分からない訳です。
そういった所を補ってあげるという形になると思います。
そうすると大体2行分、あるいは1.5行分ぐらいの回答が作れます。
逆にいうと、傍線部だけ一生懸命訳しても1行分程度にしかならないように問題が作ってあります。
なので、そうした所でバックグラウンドは何を埋めるのか、逆にいうと逐語訳だと何が通じないのか、という事を逆算的に意識して回答を作ってくれれば正答に近付くかなと思います。
ただ実際問題皆さんご経験の事だと思いますが、そうした理由説明や分かり易く説明しなさい問題を模試で回答すると、大概点が付いて返ってこない訳です。
なので、やはり我々の塾では個別指導ですから【何が書かれていて何が書かれていないのか】
【どこを書きさえすれば良かったのか】【どういう論理でその場所を書くべきだったのか】というのをご指導出来る訳です。
例えば学校でも国語の先生を捕まえて、何でこの回答を作ったのに点が付かないんですか?というのをきっちり突っ込んでいく必要があります。
先生に、なんでその回答になるのかという解答根拠をきちんと詰めて説明しろ、と要求する癖を付けて頂けると、東大の回答は作りやすくなるんじゃないかと思います。

長島(読解ラボ東京代表):現代文だったら、受験生がなんで点数もらえないだ、と文句を言う
ポイントがあります。具体的なものをそのまま書いちゃっているか、比喩表現を使っちゃっているからそこの点数はあげられないんだよ、おしいけどね、というのがあるあるな訳です。
古文のあるあるはありますか?
岡部:古文のあるあるの場合は、例えば字数が足りているのに回答になっていないという事があります。この場合の多くは、背景の部分に優先順位がちゃんと付いていないという事です。
例えば迂遠な部分、理由には二段階の理由があったりするんですが、その二段手前の理由部分を書いていたり、あるいは本来であれば動機の部分を書かなきゃいけないのに背景を一生懸命書いているとかです。
長島:それは聞かれた事に答えていないという事ですか?
岡部:そうですね。ただその聞かれた事というのが、いかんせん聞き方が分かり易くだったりして
意図が分かりにくい訳です。
長島:それって傍線を分かり易く説明しなさいとかだったりするんですか?
岡部:そうです。
長島:という事は、傍線の説明になってない、という事ですか?
岡部:そうです。
分かり易くというものが要求しているのが、例えば動作をした事の動機であるならば動機の部分を答えなければいけない訳ですが、それを一生懸命背景ばっかり書いてしまう事があります。
人物関係を一生懸命書いてしまうとかです。
長島:この人物関係があったからこういう行動を起こしました、それだったら一応人物関係も理由といえば理由ですよね?
岡部:ただちょっと迂遠だったりはします。
もっと明確にこうした理由が書いてあるという所があった時に、どちらを選択するのかというのが
やっぱり点が付く付かないの差にはなってくるのかなという気はします。
長島:先生があげた例だと、傍線自体が動機ですか?
岡部:傍線を説明する上で必要なのが動機だ、という事です。
例えば、僕の場合は分かり易くというのは、何で?だったりする訳です。
あるいは、何で?の部分が本文中にない場合は、例えば人物関係がちょっと迂遠ではあるけれど理由になったりするでしょうが、その辺りはより直接的なものを選んでいくという事が必要になります。
ですが、どうしても受験生は周りから周りから攻めてしまいがちな傾向があります。
長島:先生は動機とおっしゃったけど、傍線自体の言い換えがまず答えとして必要な訳ですよね?
傍線の言い換えの一要素で、東京大学だったら13.5センチ2行だから傍線の言い換えだけで一行になります。だから、もう1行分を書かなきゃいけない、それの字数調整として動機というのをあげられていた訳ですよね?
岡部:そうですね。
長島:その動機が動機の動機になっている、という事ですよね。それはよく分かります。
要するに、記述はいきなり完全体の答えがある訳ではなくて、多分10文字から15文字くらいの答えがあって、それに肉付けしていくイメージだけどそのイメージがないから余計な所まで入っちゃうという事ですか?
岡部:それはあるでしょうね。
あとはアプローチとしては多分これはこれでありですが、60文字ぐらいから書いちゃうという子もいる訳です。
そこから削っていくというのも優先順位を付けるという意味では一つの手だと思います。
ただ逆に、そうしたアプローチというのはどうしても漠然としがちです。
回答のツボが自分でよく分かっていないみたいな所はあるので、一つにはミニマムな回答を作ってから増やしていくというのも良いと思います。
例えば自分の得意なのが60字の大きい方から書いていって切っていくというタイプの子も、
一度ミニマムなものを作ってそこに必要条件というのをどんどん足していくという練習もしてみるのも良いかもしれません。
長島:今60字とおっしゃったのは、13.5センチ2行だと多分50字ぐらいだから、ちょっと余分な事も入れて答えを書いた上で削れという事ですよね?
岡部:そうです。
夏井:ずっと思っていた事がありまして、解答を書く時、設問に答える際に、こういう手順をもって現代だったらこう、古文だったら、漢文だったらと共通している事も当然ありますし、若干違う所もあったりすると思います。
100%の解答を書く時にはこんな感じの方法論を用いてやっていく事になると思いますが、若干足りない時もあると思います。
例えば現代文でいうと、三つ要素があればいいねと言っているけど二つしか見つからなくて字数が足りない時、古文でいうと何となく意味は分かっている気がするがここの単語の意味だけ分からなくて何も答えが書けない時、というのがありそうな気がします。
そういう100%じゃない時に、ベストではないけどベターな解を作る為には一体どうしたらいいんだろうか?という事を大昔の私に教えてあげたいので教えて頂けないでしょうか?
長島:現代文だと、傍線の言葉をそのまま使っちゃダメよとよく言います。
読解ラボ東京はどんな塾ですか?と聞かれて、読解ラボ東京ですと答えたら多分怒られます。
なので、本文の言葉をそのまま使っちゃダメよ、というのは私も言いますし、一般的な指導です。
ですが、傍線が4ブロックあって1ブロックよく分からないというのであれば、もうそれはそこの点数はもらえないというのが分かった上で、その1ブロックはそのまま書いてしまいます。
他の三つが適切だったら4分の3貰える訳ですから、そうやって凌ぐというのもありだと思います。
今のは大問一の問四、あの場合は百字以上百二十字以内ですから、とにかく百字を超えなきゃいけないので、字数を埋めたいから傍線の言葉をそのまま使ってしまえ、という事です。
あるいはそれ以外の問題だと13.5センチ2行で何文字以上書けと言われていない訳ですから、1.2行くらい書きます。
絶対1要素抜けているんだけど文章が途中で終わると減点されちゃいます。
それに、最後に句点を書かなきゃいけないとルールもありますし、どういう事か?と言われたら最後は事で終わりたい、というルールもあるので、一応文章としては完成させた上で1.2行を完成させて答えとして提出するというのも私は全然ありだと思います。
1要素足りないんでしょうけれども、それでも3分の2くらい適切に要素を押さえていればもらえる訳ですから、そうやって部分点を稼いでいきます。
だから、完璧主義にならないというのが非常に大切だと思います。
岡部:今年漢文は1行半がありました。古文は1行問題しかなかったです。
基本的にそれは現代文も同じだと思いますが、加点法で採点する訳です。
減点法で採点すると受験生全員点数なくなっちゃうんで、基本的には加点法で書きます。
そうすると、例えば品詞分解をちゃんと出来ています、識別出来ていますみたいな所はアピールするだけでもちゃんと1、2点は取れる訳です
指示内容を明らかにしろ、という部分だって所詮1、2点な訳ですから、ぶっちゃけた所分からないものはそれで書いてしまったって困らないです。
そこはそもそも点が付く、付かないだけですから減点にはならないでしょうし、仮に減点があるとしてもとんちんかんな事を書いていなければ、そこは減点にはならない訳です。
東大受験生なら当たり前の事ですが、きちんと何か書いて埋めるという基本的なアティテュードというのは絶対にもっていなきゃいけないです。
正直な所、主語が間違っていようが目的語が間違っていようが、それ以外の部分がきちんと訳せていれば点は何らか付きます。
そんなものは例えば文化だったら全部で5問ある訳ですが、5問の内2、3個ぐらい主語が分からない
目的語が分からないという事があったっていいといえばいい訳です。
他で取り返せば良いだけの話ですので、分かっているものについて落とさない。
あるいは、出題意図としてこの語が聞きたい、あるいはここの品詞分解が聞きたいという事をパートごとにきちんと分析して、そこだけは取るみたいなアプローチをしていくという事が大事なんじゃないかと思います。
長島:古文は点数の要素は何個くらいあるんですか?
現代文だったら13.5センチ2行で、大体3要素に落ち着くかな?という気がします。
それが傍線をいくつかに分けて、傍線のこのブロックの言い替えで1要素、このブロックの言い替えで1要素、それだけだと1.3行ぐらいになっちゃうから、傍線の理由を加えて1要素で3要素みたいな事が多いかな、という印象があります。というか不勉強で恐縮ですが、古文は1行の事もあるんですね。
岡部:ありますね。
長島:1行で何要素入れられるの?と現代文的には思っちゃいますが、何要素あると思いますか?
岡部:そうですね、それは問題によってまちまちです。
例えば主語を明らかにして訳しなさいというような問題の場合、主語を補うので1要素、述語動詞か
あるいは形容詞だったりもするでしょうが、用言部分の語が現行で意味が違う現行異義語だったりすればここで1要素、あと助動詞部分です。
助動詞、助詞部分で1要素の3要素です。
長島:でも傍線の中で助詞、助動詞は何個も出てきますよね?
岡部:それをいちいち全部は出ないと思います。
長島:私は分ける気がしていて、という事は古文はめちゃくちゃ点数の要素が多くない?と思っていました。
岡部:それは一塊で助動詞、助詞、あるいは一部の呼応の副詞とかいう文法要素で1要素という可能性が多いです。分けて2要素かなと思います。
例えば呼応の副詞と助動詞がそれぞれ分かれて2要素とかでしょうかね。
でもそれでやっていくと1要素1点とかになっちゃうので、もうちょっと主語を補っての主語にウェイトを掛けて、そこに2点とかにすると多分文法部分が1要素とかでしょうかね。
こればかりは採点基準が分かりませんので何とも言えませんが、一般には大体そんなふうにして処理している気がします。

夏井:確かに傍線部だけは一応そこを解答していないという事が表わせるかも知れないですね。
目的語が分からないからそれと書く事で、一応ここは分からなかったよという事をアピールして、
その他はちゃんと正解を書いているとすると部分点が貰えるかも知れないという事ですね。
当時の私が思った事は、その開き直るという事が私のプライドが許さなかったんだと思います(笑)
長島:でも、それは東大受験生に絶対必要ですよね。そこでの折り合いをつけられるかどうかという事ですか?
岡部:でもそれは数学は分かりませんが、数学でも3完4完しようとは思わないじゃないですか?
夏井:思わないです。
岡部:それは国語でも完答、満点を目指すのでしょうか?
夏井:だから目指し方の問題で、あからさまにお前白旗上げているよね?という解答を書く勇気をもてるかどうかが結構大事なのかなという気がしました。
長島:指導者は完璧な答えを説明して終わりになるから、分からない時も当然あるので現場判断としてはこうせざるを得ないよね、というのをちゃんと言わないと、受験生も勇気をもてないという事ですかね?
夏井:ベターな解を探す方法論というのもあっていいんだろうなという気が最近はしています。
長島:確かにそうですね。
岡部:それはさっきのお話の続きになっちゃいますが、やっぱり添削をしてコメントを付けてもらうというのはとっても大事な事だろうと思います。
あとは、それこそ駿台と河合から出ている東大の国語とかがあるじゃないですか?
あれは解答の添削基準が付いている訳です。
それで自分で添削をしてみて、この添削でいいのかというのを先生に確認をしてもらいます。
それで添削のポイントが分かっているというのは、要するに要素が何要素からなっていて、この要素が書けている書けていないというのが自己判断出来るという事になりますので、とにかく自分で丸を付けてみるというのはとても大事な事だと思います。
受験生が一番いけないのは、解きっぱなしやりっぱなしな訳です。
特に国公立の場合は自分で添削を付けるという事に凄く重要性が高いんだろうなと思います。
それで自分の中でフィードバックをしていく、このあたりが私大との一番の差なのかなと思います。

夏井:ありがとうございます。
今頂いたお話を使って、来世私も東京大学に入学しようと思います(笑)