【読解に役立つ古典常識】月について
夏井(中学受験専門夏井算数塾代表):今回は、月という事です。
満ち欠けするものという話ですが、こちらは何ですか?
岡部:これは月が満月から新月へぐるっと回ってという事を表しています。
近代以前のカレンダーでは毎月一日というのは朔と言います。
月がたつから月たちで朔(ついたち)なんですが、
月が欠けている状態の事を朔(さく)と言います。
十五日になると月が満ちる訳ですが、それを望月と言います。
月が欠けたり満ちたりする天体の動きの事を朔望と言います。
これとカレンダーがリンクしている事を今日は理解して頂きたいという事になります。
三日月の「みか」というのは三日です。
まさに、月がたつ朔から数えて一、二、三、三日目前後です。
この辺りの月の事を三日月という訳です。
どんどん進んでいくと、七日目が上弦の月です。
古文では上弓張月と読む事もあります。
上弦というのは、数学の世界です。
この真っすぐの所が弦で、カーブしてる所が弧ですが、弦の部分が上を向いているというのが上弦の月です。ちなみに反対側は弦が下を向いている訳ですが、下弦の月という訳です。
段々日が経っていき、十五日を望月と言います。
ちなみに十六日の月を十六夜月と言いますが、いざようというのは躊躇するという意味の動詞です。
ですから、月が十五日の月よりも出てくるのが遅くなる訳です。
出てこようか出てこまいかと躊躇っている、躊躇しているという事から十六夜月という訳です。
その後、十七日、十八日、十九日にも特別な名前が付いているので覚えて下さい。
十七日の月を立待月と言います。
月の出が段々遅くなってくる訳です。
18時くらいに月が出てくるのが段々19時20時と遅くなってくる訳ですが、最初のうちは月の出を立って待っていられる訳です。
ところがもう立って待っていられなくなったというので、居待月、座って待つ訳です。
十九日の頃になると、もう立っていられない訳です。
寝待月、臥待月と呼ばれる月になります。
段々下がってくると下弦の月になります。
これはもう夜の12時くらいに月が昇り始めるという事になります。
月末になってくると、月の出というのが明け方近くになってくる訳です。
皆さん冬なんか特にそうだと思いますが、朝8時とか9時ぐらいになってまだ西の空の太陽と反対側に真っ白い月が残っている事がありますよね。
あれを有明月と言います。
この有明月は大体真っ白い、青白い色をしていますので、これを雪に見立てるというような形で和歌の見立ての道具として使われる事も非常に多いです。
なので、その辺りを覚えて頂けると宜しいかなと思います。
三十日、三十ですから晦日です。三十で晦日です。
あるいは月が隠れてしまう、籠ってしまうので、月籠りという所から晦と呼んだりする事もあります。
いずれにせよ、ここが一周するのに29.5日掛かります。
ですから、月によっては29日の月もあれば30日の月もあります。
そういうのを大の月、小の月と言います。
どうも私たちは月というと、大層美しくてそれを眺めていたいと思ってしまうものですが、
古文の世界では必ずしも月は鑑賞の対象ではなかったようです。
月の面というか、月の顔そのものをまじまじと見る事は決して好ましい事だと考えられていなかったようです。
実際月の面、月の顔について具体的に描かれている作品というのは実はそんなに多くはありません。
極々一部はありますが、古文の世界で月の表面、あるいは月の姿というものをどのように評価していたかというのが分かるのが竹取り物語の有名なシーンです。
高校によっては扱った事がある箇所かと思いますが、ちょっと読んでいきましょう。
春の初めより、かぐや姫、月のおもしろう出でたるを見て、春の初め頃、かぐや姫が月がとても情趣のあるように出てきたというのを見ました。
常よりも物思ひたるさまなり。
いつもよりも物思いが深いようである。
ある人の、「月の顔見るは、忌むこと」と制しけれども、ある人、召使いの女房か何かでしょうが、月の顔をじっと見るのは忌むべき事だと制します。
ともすれば、人間(ひとま)にも、人がいないタイミングです。も月を見ては、いみじく泣き給ふ。です。これはかぐや姫がいよいよ月に帰らねばならないという頃です。
満月になるとやたらと月を見ては泣いているというシーンですが、ここで大事なのは月の顔を見るは忌む事、と女房が制しているという事です。
月そのものが、月の光が趣深いというのは非常に和歌の中でよく出てくる訳ですが、月の表面をじっと見る、月の顔をじっと見というのは必ずしも好ましい事ではなかったようだという事になります。
夏井:ちなみに上弦と下弦がありますが、なぜ上でなぜ下なんですか?
岡部:月の上旬、旬というのは十日間の事を指します。
一日から十日までが上旬です。
十一日から二十日までが中旬。二十一日から三十日までが下旬という事で、旬というのは十日間を指します。
ですが、そうすると七日に生じる月の形が上旬なので上弓張月です。
同じように下旬の二十日過ぎ、二十一日前後になりますが、これが下弓張月という事になります。
なので、そこから取って上弦の月、下弦の月というのが一般的な説です。
この辺りはそれこそ小学校や中学校の理科でやったと思います。
それこそ復習ですが、これを分かっていないと、例えば物語の頭の所で今日は何月何日だ、というのが言ってあるとします。
そして、月が見えた、の月に傍線が引っ張ってあって、その月はどっちの方向に見えていますか?とか、あるいは月が西に沈むとしている、とかいうのが書いてある訳です。
それに対して、何時ですか?とか聞かれる訳です。
そういった問題を解く上で、ここを小中学校でやっているはずですが、もう一度ここで確認をさせて下さい。
まず朔もしくは晦日です。
一日、三十日は当然新月ですから一日中全部見えません。
というのは、太陽が昇る時間の朝6時と、太陽が沈む時間の夕方18時がぴったりそれと同期するように月が昇って沈むから見えない訳です。
段々三日月から先が見えていきます。
皆さん経験した事があると思いますが、三日月は夕方ぐらいの夜18時19時あたりの所から見えてくる訳です。
というのは、朝9時に昇って南中時刻が15時ですから、月の入りが21時です。
大体17時から21時の間に暗くなって、西の空に見えるのが三日月です。
上弦の月は、お昼12時から昇って夜の0時に沈みますので、夕方18時から0時までの間が見えている時間になります。
望月は言うまでもありません。
月の昇り、月の出、月の入は18時から6時まで夜中ずっと見えているのが望月という事になります。
ですから、月の出がどんどんここから先が遅くなっていく訳です。
さっき出てきた十六夜、立待、居待、寝待、というのは月の出が遅くなる事を言っているのだ、という事がお分かり頂けるかと思います。
下弦の月は0時から6時までです。
ここから先は西の空に見えるはずですが、太陽はもう出ている時間なので見えないという事になります。
有明の月は朝の3時から昇って夕方の15時に沈む訳ですが、15時から18時です。
冬だと朝になっても相変わらず東の空に見える訳ですが、これが真っ白な月として、青白い月として見えるという事になる訳です。
この辺りの所を既にやっている所ではありましょうが、もう一度整理してあげて下さい。